インタビュー

SUMICALM リリース記念インタビュー連載:フリーアナウンサー町亞聖さん -第2回-

公開日:2016/12/08

SUMICALMのリリース記念、フリーアナウンサーの町亞聖さんインタビュー連載。

第2回目の今回は、「発想の転換」や「介護と仕事の両立について」など

興味深いお話しを伺いました!

フリーアナウンサー:町亞聖さん

前回の記事はこちら

第2回介護と向き合う2

介護は選択するサービス。どんどん利用して改善点を提案していくことでより良いサービスに

介護をされていて、あったら良いなと思ったサービスや仕組みなどはありますか?

やはり食事サービスですね。大学生の時は、授業中も頭の中は献立のことで一杯でした。宅配のピザはあったと思いますが、コンビニも今ほど沢山なく、店屋物もたいしたものがありませんでした。しかも外食はお金がかかってしまいます。今はリーズナブルな惣菜も手軽に買えますし、介護食も種類が豊富になっています。介護の中で食事の負担は一番大きかったので、そういったものを上手に利用して、もっと手を抜きながら食事作りができたのではと思います。

あと訪問入浴です。家のお風呂をバリアフリーにしなかったので、片麻痺の母は湯船を利用することができず、ずっとシャワーだけで過ごしてしまいました。お風呂の介助も大変で、父と私と妹の3人がかりでした。ホテルならば湯船が大きくて入れるかもしれないと思って連れて行ったことがありますが、バリアフリーではありませんでしたので、車いすごと入ることもできず・・・。末期がんで母が寝たきりになった時に訪問入浴サービスを利用しましたが、本当に気持ち良さそうにしていました。痛み止めの薬よりも効果があったようで、10年ぶりに浸かった湯船に癒された母は、訪問入浴を利用した夜はとてもよく眠れていました。大きな浴槽やお湯を入れるホースなど大掛かりなので、利用を躊躇しがちですが、もっと早く訪問入浴を利用すれば良かったと後悔しています。家族だけで入浴させてあげることができていなければ利用して欲しいなと思います。

他にもデイサービスは使いたかったです。父には仕事、私達には学校がありましたので、どうしても日中は一人で過ごさなければなりません。母は家で自分なりにすることを見つけて過ごしていましたが、週2回ぐらい利用すれば家族以外の人と過ごす時間を作ってあげられたのではないかと思います。

母は私が出ているテレビ番組をとてもよく観ていてくれました。少しは親孝行ができたかなと思います。言語障害だけでなく母は文章や文字も書くこともできなくなっていて、自宅でのリハビリで小学生のように文字を書く練習をしていたのですが、母のノートを見ると拙い字で私が出ている番組のタイトルや髪の毛の長い女の子の似顔絵が書いてあったりして。その女の子は私のことだったのだと思います。

繰り返しになりますが介護は「サービス」です。利用しなければサービスの良し悪しは分かりません。サービスが多様化してきていますが、介護を提供する側の都合ではなく、利用者の視点でサービスの改善点を提案していくことで、サービスはより良いものになっていくのだと思います。

介護で身に付けた「発想の転換」が私を前向きにしてくれました。

介護をご経験され、現在の町さんにとってプラスになったことはありますか?

母の車椅子を押す生活の中で、マイナスになったことはひとつもありません。

介護に直面したのが人より早かった分、色々なことに気づくことができました。当たり前のことではありますが、命には限りがあること、誰でも病気になる可能性あるということを最初に痛感しました。発想の転換ができるようになったのも、介護のおかげだと思います。母の介護をしていなかったら、自分に悪いことが起きていることは誰かのせい、と思っていたかもしれません。母が倒れたことで自分の人生が180度変わりました。一人暮らしもできなかった、海外留学もできなかった、大学のサークルにも入れなかった・・などなどできないことを数えると切りがなく、なんで私だけが・・・と一度も思わなかったと言ったら嘘になります。ですが、他の人が体験できていないことを私は体験できている、母の車いすを押すという経験も大変貴重な経験ですし、ごはんを作るなどの家事もいつか必ず役に立つだろうと。(いまだに独身で花嫁修業を活かせていないのは残念ですが・・・)

母が亡くなった後、一年ほどしてアナウンス部から報道局への異動という、また想像もしていない晴天の霹靂の出来事がありましたが、その時も「発想の転換」が私を前向きにさせてくれました。私は小学生の時からの夢がアナウンサーになることでした。アナウンサーになれたことは神様からのご褒美だと感じていたのですが、まさかアナウンサーでなくなる日が来るなんて・・・。最初は立ち直れないぐらい落ち込み、「なんで」「どうして」と心の中で叫び声をあげる毎日でした。

ですが泣いていても現実は変えることができません。報道局の記者になったからこそ経験できていることが沢山あると考えるようにしたら、目の前の景色が違って見えたのです。

それが介護経験の中で一番プラスになったことです。落ち込んで時こそ、考え方を変えるようにしています。介護も異動も私の人生の中で起きた全てのことは、一つも無駄ではありませんでした。

介護と仕事の両立に必要なのは制度ではなく「意識改革」

次に「介護と仕事の両立」についてお伺いします。

著書の中でも、「介護と仕事の両立」は大きなテーマとなっているかと思いますが、町さんご自身が一番ご苦労された点は?

アナウンサーという未知の世界に飛び込むことになり、仕事と介護の両立ができるかどうか不安はありました。実際、仕事を始めてみると、アナウンサーは今から20年も前に「フレックスタイム」を実現している仕事だったのです。新人の時に担当した番組は夜のスポーツ番組だったので、何もなければ昼過ぎに出勤すればよく、午前中は家にいることができました。睡眠時間を削ることにはなりましたが、会社に行く前に買い物に行ったり夕食の準備をするなど、空いた時間を母の介護や家事に充てることができたのです。

介護では役割分担が大事だというお話をしましたが、我が家の場合は、妹にあるお願いをしていました。経済的にも苦しかったので私が就職したら大黒柱として働かなければなりません。私は大学に行かせてもらっただけありがたいと考えていましたので、大学時代は家のことは全て私がやると覚悟を決めていました。私が就職するまでは、母の介護のことは気にせずに友達と同じように部活をやったり普通に学生生活を送っていいと妹には言いました。ただし、就職したら私を手伝って欲しいとお願いしていたのです。深夜勤務の2日と(一応)週休2日、合わせて4日を私が、そして妹が2日、残りの1日を父にお願いしました。

制度があっても使う人の意識が変わらなければ介護離職を減らすことはできません。

意識を変えるためには、介護に直面している人が語れる環境を作ることも大切だと感じています。母の話をオープンにしていた私に「実は自分も」と家族の病気や介護の話をしてくれる人が沢山いました。これからも私は伝えることで意識を変えるきっかけ作りをしていきたいと思います。

国は「施設」から「在宅」へと方針を転換させています。今から20年近く前にお母様を在宅で看取った町さんは、当時どのようにお考えでしたか?また、"当時"と"今"で考え方に変化はありますか?

今もまだ在宅を支援する体制は十分ではなく、自宅で最期まで過ごせている人は2割もいないのが現実です。そんな状況の中で、20年近く前に末期がんの母を住み馴れた我が家で看取ることができたのは、家族の想いをサポートしてくれる医療機関があったからでした。緩和という言葉が当たり前のように使われるようになりましたが、当時地元の埼玉に「緩和治療科」という科を立ち上げた病院があり、外科医、内科医、精神科医、訪問看護師がチームを組んで、抗がん剤治療から在宅での看取りまでサポートするという画期的な試みをしていました。

ただ、我が家もすんなりと在宅を選択できたわけではありません。父は「何かあったらどうするんだ」と大きな不安を抱えていたので在宅に反対していました。ナースコールのない自宅では、容態が急変した時に医師や看護師がすぐに駆けつけてくれるわけではありません。最期のその時を家族だけで迎える覚悟が必要です。在宅での看取りがなかなか進まないのは、在宅診療や訪問看護などの体制が整わないだけでなく、患者や家族が抱える不安が大きな要因になっているのです。

病院死が当たり前になっていますので、多くの人が病院へ行けば何とかしてくれる、先生に言えば何とかしてくれる、という病院神話を持っています。末期がんの母もそうでしたが、残念ながら医療でも治すことのできない段階はやがてやってきます。病院での治療の目的は病気を治すことですが、在宅は「もう治らない」ところからスタートします。命に限りがあることを受け入れる覚悟が必要な在宅は、自分自身で経験したからこそ、簡単なことではないと痛感しています。

「看取り」とは最期の息を引き取る瞬間に立ち会うことだと考えている人が多いのではないでしょうか。

母の終末期に寄り添って感じたのは、看取りは命の限りが分かった時から始まっているということ、いつその時が来てもいいように毎日を過ごすことの大切さでした。

朝交わす「おはよう」や「いってきます」という何気ない言葉も、これが母と過ごす最期の時間かもしれないと考えると、かけがえのないものとなりました。

病院にいても自宅にいても最期の瞬間は必ずきます。そのことを受け入れる心の準備をすることが在宅の第一歩なのです。できれば元気な時から家族と、自分はどうしたいのか話しておいて欲しいと思います。

40歳で車椅子の生活になり不自由の多かった母には、無機質な病院ではなく、好きだった物や人に囲まれて過ごさせてあげたいと強く思いました。

障害があっても不治の病でも認知症でも住み馴れた地域や我が家で最期まで過ごせる社会にしたいという想いは当時も今も変わっていません。

ですが、介護現場を長く取材する中で、色々な施設や介護職の人に出逢ったことで、我が家のように過ごせる施設が住み慣れた地域にあるのであれば、在宅にこだわることはないと思うようになりました。

埼玉でグループホームを運営する方が「同じ方向を向いていたらもう家族なんですよ」と言っていたのが印象的でした。血が繋がっていなくても、家族のように過ごせるスタッフに出逢えたら、それはとても幸せなことだと思います。

大切なのは場所ではなく「そばにいて欲しいと思う人」に出逢えるか・・・

町さんが考える「良い施設」とはどのような施設でしょうか?

大切なのは場所ではなく「人」です。自分がもし介護を受ける側であったら、イケメンのヘルパーさんがいてくれたらうれしいな、と思いませんか(笑)介護は単なるお世話ではなく、その人らしく最期まで過ごせるように寄り添うという仕事です。マニュアルや技術があるから良い介護ができるわけではありません。この人にそばにいて欲しいなという人に出逢えるかが重要だと思います。

我が家のように過ごせる施設とは、具体的に言うと地域に開かれている施設ということです。ホテルのように豪華な設備が整った施設もありますが、貧乏性の私には暮らしの場所としてはちょっと落ち着かない気がします。介護スタッフたちも施設の中だけでなく、その施設のある地域で働いている、貢献しているという意識を持っているかどうかも大切です。そこで暮らす人が施設に入る前と同じように生活できるそんな施設が良い施設ではないでしょうか。

高齢者の単身世帯や老老介護の世帯も増えていきます。自立して生活でいる間は我が家で、不安が大きい場合は施設、というように過ごす場所の選択も柔軟にできるようになればいいと思います。大切なのは納得して選択することです。施設でも在宅でも「終の棲家」となる場所です。是非、元気なうちに自分の目で色々な施設を見て「ここで最期まで暮らしたい」そう思える場所かどうかを確かめてみて下さい。

家族が本音で話し合える環境づくりが大切

では最後に、町さんのご経験を踏まえ、これから親世代が後期高齢者に突入する世代の方たちへ向けて、「準備しておきたいこと」「心構え」など、アドバイスをお願いします。?

団塊の世代の方たちは、子どもの世話にはならない、と思う方が多くいらっしゃるように見受けられますが、本音はどこにあるかな、と思います。

私の両親も生きていれば団塊世代でした。親世代は田舎で、子ども世代は東京で生活している場合に、もし子供を頼らないのであれば、果たして誰に頼るのでしょうか。最期ぐらい少しはわがままを言って良いのではと私は考えています。ただし、遠距離介護は大きな問題です。

子供世代が仕事を続けながら、親の介護ができるようにするためには「本音」がお互いに言える環境を作ることが大前提です。

親世代にとって住み慣れた土地を離れることは簡単ではありません。また子供世代も築き上げた生活基盤を捨てて田舎に帰る選択肢も難しいのではないでしょうか。

介護が必要になる前に、住み馴れた場所でどんなサービスが受けられるのかを一緒に調べてみることは誰でもできることです。安心して過ごせる環境があるかどうかを確認することは、家族にはどんなサポートができるのか心構えをすることに繋がります。

本音を言える環境を整えるためにも第三者のサポートが必要なのです。「私達がいるから安心してください」そう言ってくれる医療職や介護職がいてくれたら、離れて暮らしている子供世代も自分達にできることに集中することができるはずです。

我が家は母のおかげで家族の絆を強めることができました。そして素晴らしい医師や看護師に出逢うことができました。介護保険制度がスタートしてから16年が経ち、介護現場には介護福祉士、ケアマネージャー、ヘルパー、栄養士、薬剤師、医師、看護師、理学療法士、歯科医など沢山の職種の人達が携わり、プロの仕事をしてくれています。

もう介護を家族だけで抱え込む時代ではないのです。

家族や地域の力を再生し、人と人が繋がるきっかけを与えてくれるのが「介護」です。

次回のテーマは ~未病について~ 健康寿命を延ばし穏やかに暮らすために

いかがでしたでしょうか。町さんからのメッセージ、「介護」を私たちが今後どのように捉えていくことが必要なのか、読んでいただいた皆さんにも新たな気づきがあったのではないでしょうか。町さんのご経験すべてがプラスとなり"今"がある。そして、その"今"をご経験前よりもさらにより良いものにされている。そこには「発想の転換」が必要だったのですね!

―「介護」というキーワードをもっとポジティブなものへー

SUMICALMもより多くの方に、このテーマを広げられるよう、発信し続けたいと思います。

次回は、未病についてお伺いします!健康寿命を延ばし、穏やかに暮らすために私たちが今すべきこととは?・・・

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【プロフィール】

1995年に日本テレビにアナウンサーとして入社。

その後、活躍の場を報道局に移し、報道キャスター、厚生労働省担当記者として医療や介護問題などを中心に取材。

(がん医療、医療事故、不妊治療、難病、社会保障問題など)

2011年にフリーアナウンサーに転身。

脳障害のため車椅子の生活を送っていた母と過ごした10年の日々、そして母と父をがんで亡くした経験をまとめた「十年介護」を小学館文庫から出版。医療と介護を生涯のテーマに取材を続ける。

【出演番組】

TOKYO MX土曜日 午前11時~12時
「週末めとろポリシャン」MC
文化放送水曜日 13時~15時30分
「大竹まことのゴールデンラジオ!」水曜レギュラー
ニッポン放送毎週日曜日 あさ6時25分~6時55分
ウィークエンドケアタイム「ひだまりハウス~うつ病・認知症を語ろう~」

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